2006年04月25日

矢倉沢往還・海老名〜厚木(4/22)

足近頃は花曇どころか嵐の春と言う風情ですが、4/22(土)は好天に恵まれました。この日も遅めの出発。前回の到着地点、神奈川県の海老名にやってまいりました。海老名と言えば国分寺。国分寺と国分尼寺跡を訪れるべく、先日訪れた逆川の史跡の碑まで一度戻り、目久尻川沿いに北に向って歩きました。すると河童がいました。この川に昔現れたという伝承があるようです。橋の欄干の2匹の河童は地元の方の贈り物でしょう、帽子とちゃんちゃんこを身に着けて澄ましています。
河童の欄干
西に歩を転じて国分尼寺跡に着きました。ご近所のお嬢さん方がくつろいでいました。聖武帝の頃立てられた金堂跡には今は庚申堂がありました。
国分尼寺のかしまし娘
お昼にお蕎麦をいただいてから、国分寺跡を訪れました。ここは公園として再利用されていますが、要石などが発掘調査の後復元されています。史跡を公園として再利用するのは私には良い思いつきのように思えます。単に囲われた土地としてではなく、子供時代に遊んだ親しい公園の記憶として史跡が未来に続く命を約束されたかのように見えるのです。
国分寺・金堂のあった辺り
その後少し南下して、ひさご塚古墳を訪れました。駅より南の地域には古墳や中世の舘跡などが点在しています。ひさご塚の近くには銘菓「ひょうたん山最中」を売る菓子屋があり、話の種に3種を一個ずつ求めましたが、帰る頃にはリュックの中で無残に潰れて瓢箪やらへちまやらわからぬ有様と成り果てました。
再び矢倉沢往還に戻ります。国分寺跡の東に隣接して、郷土資料館「温故館」があります。近代の役場の建物がそのまま利用されており、これも未来に続く命を与えられた史跡の例と言えるでしょう。学芸員の方が国分寺のことを丁寧に説明してくださいました。矢倉沢往還をずっと歩いていると言うと、以前溝口のふるさと館でコピーさせていただいた大山街道・R246ネットワーク交流会発行のパンフレット全4部を分けてくださいました。平成製と思われますが増刷されていないので今や貴重な交通資料です。ついでに海老名の庚申塔や地蔵などの資料を都合3000円ばかり求めました。郷土資料館を訪れることは多少時間がかかるとしても思わぬ史料にめぐり合うこともあるので、欠かせません。
温故館
この時点でもう16時をまわってしまいましたが、少しでもと西へ向いました。海老名氏の墓所を探すうちにだいぶ暮れて来ました。今日も暖かい日でした。季節はもうこんな花の咲く頃です。
菖蒲ですか?あやめですか?かきつばたですか?
今日のうちにせめて相模川を渡ろうと思いましたが、堤防をうろついているうちに随分暗くなったので、厚木から帰ることにしました。相模川・中津川・小鮎川の三川合流地点の西側に見えるのは、あれが大山、矢倉沢往還のハイライトです。
あれに登るのかと思うとちょっと引きますけど
というわけで駅一つ分しか進みませんでしたけど今日もたっぷり歩きました。次回は多分GWの終わり頃、大山の様子をご報告できることでしょう。
posted by けいりう堂 at 23:38| Comment(0) | アルファ-ラルファ行脚

2006年04月17日

矢倉沢往還・長津田〜海老名

暖かくなったので、いつも草ぼうぼうでお隣さんに迷惑かけている庭を掘り起こして笹をむしりとって、山椒を植えました(左)。そばには前からほったらかしにしているキャッツミントがけなげに生えています(右)。キャッツミントは別名キャッツニップと言い、猫が好むのだそうです。別名「猫のかみかみ」。萌える名前ですね。ずっと庭に生えていて、しかもずっと猫を飼ってるというのに、最近まで知りませんでした。
庭の山椒とキャッツミント
さて、4/15(土)は矢倉沢往還・長津田から西へ。なかなかの好天です。実は遅く起きたため、出かけたのは10時をまわった頃でした。我が家から長津田までは30分ほど。駅の周りを少しうろついたらもうお昼。そばをいただいてあとは日が暮れるまで歩き続けるのです。しばらく歩くと、ついこの間後にしたばかりと思った東京にまた入りました。町田市です。ここに銀河歩道橋と言うのがありました。最近見た『雅楽戦隊ホワイトストーンズ』で見た厚別川を思い出し独りニヤニヤする訳ですが、道行く人の誰もその訳を知らないことでしょう。このときのわたしは矢倉沢往還の上で最も怪しい人物だったことと思います。このそばの公園には明治20年に作られた近代水道の切れ端が展示されています。
手前彦星、向こう織姫
先へ進んだ時、鶴間の一里塚を見逃したことに気づいて戻って見に行きました。わたしの調べた矢倉沢往還からは500mばかり北に外れています。往還はここを通っていたこともあったと言うのでしょうか?
鶴間の一里塚.JPG
15:00頃、境川を渡って大和市に入りました。観音寺には猫が一杯。
日向の境内は絶好のくつろぎ場。
大和には旧小倉家を復元した「下鶴間ふるさと館」があり、往還の往時を偲ぶことができました。
17:00を回った頃、座間市の東原桜並木に着きました。しかしすでに桜の時期は終わっています。きっと大山桜もすでに散っていることでしょう。かくして18:00を過ぎた頃、海老名市に入りました。今日の旅はここまで。昼近くからのスタートの割には結構な距離を進むことができました。あと2回のうちには、大山の頂上に着いていることでしょう。
posted by けいりう堂 at 23:11| Comment(2) | アルファ-ラルファ行脚

2006年04月10日

奥州街道紀行(4/2)

4/2、日曜。ホテルで『交響詩篇エウレカセブン』最終回と『仮面ライダーカブト』を見てから宮城・槻木(つきのき)に向いました。この日は朝から曇り。天気予報は当たりのようです。想い出深いものとなった白石川もついに阿武隈川に合流し、しばらくは阿武隈川に沿って歩きます。
阿武隈川堤防。河原には畑。
お昼少し前に岩沼市に入り、千貫神社のある辺りへとエクスカージョンしたころに結構な雨が降ってきました。そこで4号線沿いの日本食レストランに避難して食事。若竹の子が春を想わせる結構豪勢なランチとなりました。午後は日本三大稲荷の一つと言われる竹駒神社へ。その北西には、芭蕉のおとづれた歌枕、二木の松がありました。「桜より松は二木を三月越し はせお」
二木の松にて
雨はほぼ上がり、検断(伝馬など宿駅関連の仕事を取り締まる役目)屋敷跡などを眺めて先を行き、午後三時頃に名取の館腰神社の手前でまた芭蕉の句碑を見出しました。「笠島はいずこ皐月のぬかり道 はせを」
神社の東5kmには仙台空港があり、北側には隣接して雷神山古墳があります。東北では最大規模の前方後円墳です。木立で薄暗い崖沿いの道を登れば、古墳登場。
雷神山古墳。前方部から後円部を臨む。
夕方、名取の駅に着く頃にはまた雨になりましたが、レインポンチョがあれば何の問題にもなりません。駅にはインターネットや読書しながら電車を待つことのできる待合所があり、ここで名取の文化財に関するパンフレットを見つけ、コピーしました。次回はここから。意外に文化財が点在しています。仙台まであと12kmほどですが、一日でたどり着けるかどうか。
以下、ゴールデンウィークに続く。多分。
posted by けいりう堂 at 22:58| Comment(0) | アルファ-ラルファ行脚

奥州街道紀行(4/1)

足新しい期になって早速奥州に出かけてしまったエイプリルフールの日。大河原の一目千本桜が咲くにはわずかに早かったようですが、とてつもなく良い天気でした。午前中のうちに韮神山の芭蕉句碑など訪れ、お昼はヒレカツ。午後にはまたしても桜の名所である船岡城址を訪れました。遠くから山頂に見えた平和観音までヒイヒイ言いながら登り、記念ショット。城址のそばには郷土館などもあって歴史の勉強ができます。ここらには軍事工場があったのですね。
alpha_funaoka.jpg
山登りでなかなかくたびれたので、あとの旅はゆるゆるとヘタレ攻め。東北リコーのあたりを歩いていると、上空を飛行機が飛んでいったようです。
alpha_plane.jpg
槻木というところに着いて、JRでなぜか福島まで行きます。定宿の風情となった駅から徒歩10分足らずのホテルに宿泊。夜はホテル1Fの飲み屋で管を巻く。お店の人々ともすっかり知り合いになってしまいました。旅は明日も続く。アップがいつになるかは不明。
posted by けいりう堂 at 02:06| Comment(2) | アルファ-ラルファ行脚