

宿に戻ると万歩計が1万歩を記録していました。ちょっとのつもりがつい本気の歩きになって、ちょっと大人気ないですかね。朝食を美味しくいただくと8時。喫茶コーナーが開いていたので珈琲をいただきました。8:30。そして朝風呂に。夜中の間に男女の入れ替えがあったので夕べとは違うお湯に。朝から風呂に入ると疲れが出てこれからの歩きに支障が無いかと少し心配でしたが。そして9時過ぎに宿を出て、磊磊峡の辺りまでまた少し歩きます。途中、秋保・里センターというのがあり、ここで散策マップを幾つか入手しました。昔は仙台からここまで鉄道が通っていたそうです。その先に覗き橋という幾分淫靡な名の橋があり、旅人はこの橋からの渓谷の眺めに見入ることが多くその名がついたということでした。覗いてみると、特に淫靡なものが見えたというわけでもありませんでした。

覗き橋からは渓谷沿いの遊歩道を歩きました。奇面岩、天斧岩、三筋の滝などの見所が看板で表示されています。「真二つに天斧巌をつんざきぬ三万年前のあけぼの」と土井晩翠が詠んだのはこの辺りでしょうか。上手いこと言います。三万年前とか言うと「創聖のアクエリオン」を思い出しますね。あれは1万2千年前でしたか。滝不動の辺りで遊歩道が終わりになりました。ここからバスで仙台へと戻ることにします。バスを待ちながら停留所付近をうろついていたらこんな看板が。

権太、三太衛、茂久吉とは一体誰なのでしょう?犬の名前のような気もしますが、案外屈強な男達かも…いやいや、徘徊してるというのだからボケの始まったご老人なのかもしれません。遊び相手を探してるのだそうです。寂しがりなのでしょうか。「注意を怠 るべし」というのは、警戒せずに友達になってあげて欲しい、と言う意味でしょうか。秋保の謎に首をかしげている間にバスが来ました。
バスは長町を経由して仙台駅へ行きます。長町には仙台から一つ南の駅がありますから、そこで降りて軽く食事(駅の立ち食い蕎麦。蕎麦は良いですね。理想的なダイエット食だと思います)して名取に再三戻りました。三日目にしてやっと奥州道中再開と言うわけです。GWの行楽客を意識してでしょうか、駅のホームにはてるてる坊主が。雨降ったら首をちょん切るぞ。

12時過ぎに名取につきました。公民館まで少し引き返して衣笠の松を見物。この名は木戸孝充の歌にちなむそうです。「大君の立ち寄りましし陰なれば衣笠の松とこそいうなかりけれ」衣笠は貴人に用いる柄の長い傘。「けれ」は逆接の接続助詞。わたしには桂小五郎が衣笠の松と言うと言ったのか言わないと言ったのかがわからないのですが…。そこから30分も歩けばもう仙台市に入り、広瀬橋には14:30頃着きました。橋の袂に橋供養の石碑があります。根岸の長者の娘という人が人身御供となって橋が架かったという橋姫伝説があるのでした。

川を渡って旅立稲荷をお参りして、河原町・南材木町・南鍛冶町と街中を進み三宝荒神社を詣で、仙台藩校のあった泰心院など訪れるといつの間にか16時をまわっています。これはまずい!何がまずいかと言うと、そう、博物館の類が入場を締め切る時間が迫っているのです。あわてて田町でタクシーを拾って榴岡(つつじおか)公園に向いました。歴史民俗資料館は入場16:15まで。嗚呼,間に合った。ここは旧陸軍第四連隊の兵舎で、そういう関係の資料も多く所蔵されていました。色々眺めていると閉館間際に入ってきた人が怒鳴り散らしているのが聞こえてきました。閉館まであまり時間がないと職員の方に言われたことが気に食わなかったようです。サービスを受ける立場としての意見を述べているようなのですが…静かにしろよな(ト、私も怒鳴る、ただし心の中で)。歩き疲れでわたしも少々怒りっぽくなっているようです。ここで史跡に関わる資料を2冊ほど入手して、国分寺跡をまわるとかなり風が冷たくなっています。次回は青葉城や市内の博物館をぐるぐる回るところからスタートです。多分梅雨時に訪れることになるのでしょうが、街中歩きだからまあ、いいかな?仙台って梅雨はどうなんだろうとか、秋保に行ったから今度は作並かな、とか、博物館の閉まっている月曜を避けて来なくては、とか、まあいろいろ考えつつ混雑している新幹線に乗って都会に帰りました。この日家に着いた時点での歩数、43797歩。お疲れっしたー。