2008年10月19日

けいりう堂島渡乃事(1)

ナッチャンWorld.JPG
10/9の夜中に横浜を出て、翌朝青森に着きました。そこから休航間近のナッチャンWorldに乗って函館に上陸し、さらに木古内へJR、バスでその先を松前へ。五街道行脚の終着点として、お伽草子の義経よろしく島渡りをいたしました。
 宿に着くと夕方近く、観光は翌日本格的に行うこととしてとりあえずお城だけ眺めてみると、ほほう。城から海が見えますな。こういうお城はちょっと珍しいような気がしました。宿のそばにある酒屋を訪ね、黒龍と松前城と秋田酒造のお酒を一本求めてこっそりと宿に持ち込みます。夕食も贅を尽くしたように見えるし、温泉付きで部屋も広い。ついこないだまでの貧相で汗臭い旅と比べると贅沢すぎて自分には勿体ないように思われてしまう。旅のスタイルが変わってから、幾分卑屈になりました。

松前の夜明け.JPG10/11。夜中に雷雨に襲われた松前。明け方には嘘の如く晴れたので、朝の5時ころ宿を抜け出しました。まずは海岸沿いの国道よりも一本内陸側の道を西に向かって歩けばなんとなく歴史の深さを感じます。熊野社やら永倉新八の住んでた後とか道内には珍しい孟宗竹林とか訪ね歩いてまた東へ。唐津とか博多とか、この辺にはなぜ九州と同じ地名がついているのでしょうか?


水たまり.JPG
だいぶ日が高くなってきました。何の変哲もない水たまりであっても、太陽の光が照り返すとなにか幸せな感じがするのですが、これって志が低いですかね?
お城のあたりに来ました。藩屋敷・藩主の墓所・寺町などそぞろ歩き、お城を眺むれば7時を回りました。朝飯を取りにあわてて宿に戻りました。



松前城.JPG朝食後、ばたばたと朝風呂に入ってから、宿に荷物を預けたまま大松前川沿いを上流に向かって歩きます。ゴローニンが幽囚されていたという徳山大神宮のそばに大館跡というのがあるのだ、と1/25000地図には書かれていますが、山道を歩いてもそれらしい跡がありません。やぶをこいで撤退。郷土資料館に行くと、私の到着に少し遅れて係りの方がやってきました。話をしていると、ここら辺りでもヒグマの目撃情報が聞かれるそうで、ゾッといたしました。夏には折戸浜のキャンプ場にも現れたそうで、蝦夷地の野宿旅の困難さを思わせます。見学した後『概説松前の歴史』という本を求めると、ここには常備していないようで、わざわざ車で届けに来てくれるよう手配してくださいました。しかしこの本、実はそのあと訪ねた松前城の中でも入手できたらしく、余計な手間を掛けてしまったようです。


松前の海.JPG昼過ぎにバスで木古内へ。そこからJRを函館で乗り換え、札幌に向かいました。実は今回の旅は帰省の旅を兼ねています。長万部のかに飯を車中で食べ、長い時間をかけて札幌へ、そして滝川駅へとさらにJRを乗継ぎ、空知川の岸辺にある実家に着くと午後9時ちょっと前。滝川駅から、昔よく通った道を歩いて帰る途中、とうとう雨に逢ってしまいました。空知大橋から辛うじて見える川面には厳冬の頃には湯気がたちます。

明日の朝は懐かしいこの辺りを歩いちゃおうかな、なんて。


posted by けいりう堂 at 04:41| Comment(2) | アルファ-ラルファ行脚