2008年10月22日

檜原峠。。。

やはりこの「さくらのブログ」から近々引っ越しがしたいのです。何となれば、過去の書き込みに間違いを見つけて後日の訂正をすると、その再編集をした日の投稿を終えたことになってしまうわけですね。何の警告も出してくれないでそういうことをするのはどうかと思うのです。

さて、米沢街道です。米沢から檜原峠という山形から福島会津への県境に向かう道は現在廃道となっている模様なのですね。
1/25000地形図「白布温泉」をまじまじと見ていると、だんだん恐ろしくなってきました。綱木の集落から綱木川を3kmほど南へとさかのぼる辺りは標高900mくらいで、旧街道は中丸沢にほぼ沿って3つくらい小さな沢を横切るような感じです。この沢の入り組み方がなんだか伊豆の二本杉峠のふもと、そう、かつて私が二度ほど迷いかけた地形によく似ているのです。おそらくは砂防ダムなんかもあるのでしょう、地形図には描かれておりませんが。HPを見ると、峠の福島側はハイキングコースのようになっていますが山形側は手が入らず藪だという事でした。

この廃道を通らないで会津に向かう道はありますが、ずいぶんと迂回していて、檜原峠は通りません。

最終的には現地で様子をよく見た上で冷静な判断をもって行くか返すかの決断を迫られることでしょう。とりあえず今は地形図を見て幾分引いています。。。
posted by けいりう堂 at 20:17| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2008年10月18日

国会図書館で。

国会図書館に行ってきました。

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目的は、先回コピーを失敗した「山形県歴史の道調査報告書」の板谷街道部分の閲覧その他。
「北海道道路史」なる書物を発見。道路研究会会長は堂垣内直弘元北海道知事だったわけで。これの「路線史編」がほしいな。

おりしも国会図書館では「貴重書展」をやっていた。10年に1度の割合でやるというのでラッキーだった。さらに、ちょうどガイドツアーの時間だったので解説聞きながら展示を見ることができて、ラッキッキ。で、見てみるとやはり図録がほしくなるわけで。1800円。うむむ…。買っちゃったけど。

山東京伝や滝沢曲亭馬琴の本なんかも見ることができたので、やはり良かったんだろう。その後、神保町で檜原峠までの1/25000地図購入。伯剌西爾でコーヒー100gも購入。思ったより散財してしまってる。
posted by けいりう堂 at 21:33| Comment(1) | アルファ-ラルファ日記

2008年10月05日

国会図書館行って神保町行って。。。しかし。

次の遠征の街道は米沢街道と決めました。
これは福島の南、松川から奥州街道と別れ、米沢に向かいまた会津に向かう道です。これまでは奥州の道を縦長に歩いたので、またちょっと日本を横に歩いてみたいと思ったわけですし、会津にも行ってみたかったので。

この道は一度山形県に入ってまた会津に向って福島に入るので、都道府県毎に出している「歴史の道調査報告書」は福島の分が2冊、山形の分が1冊という風に分かれているわけです。

福島から坂谷境までのものは「日本の古本屋」経由で入手することができました。その続きは国会図書館に所蔵されていたので、土曜に複写しに行ったのでした。
「山形県歴史の道調査報告書」は米沢街道と板谷街道が1冊になっていました。で、私は何の疑問も抱くことなく米沢街道の部分を一部(全部は著作権違反になるのでできない)を複写して、それを持って神保町三省堂に行ったわけです。
 調査報告書に載っていた地図に相当する1/25000地図を探していったのですが、なんかおかしいんですね。福島につながってないじゃないか。

そこで思い至ったこと。

街道には、目的地に向かう名前がつくことが多い。

たとえば京街道は大阪から京にいたる道という意味の呼び方で、京都においては大阪街道と呼ぶべきものなわけです。

山形における米沢街道は、どうやら山形から米沢に向う道を意味しており、福島で米沢街道と呼ぶ道の続きは、「板谷街道」。。。

なんと。同じ本のま逆のところだけ複写してきてしまったじゃないですか。国会図書館のコピー代、高いのに…。

というわけでかなり無駄な動きをしてしまいました。

帰宅してから夕食。ベランダで無理やりジンギスカン。来週の連休は松前観光して何年ぶりかの帰省の予定です。
posted by けいりう堂 at 14:51| Comment(2) | アルファ-ラルファ日記

2008年08月07日

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080731_1323~0001.jpg
posted by けいりう堂 at 21:58| Comment(2) | アルファ-ラルファ日記

2007年09月12日

綱島街道。

Tsunashima_Kaido_s.pngずい分お久しぶりです。こないだの日曜に、綱島街道を歩いてまいりました。近所を通っている道なのであちこち歩いたことはありましたが、ぜひ一度通しで歩いてみたいな、と。朝の8時に横浜駅を出て、溝口に着いたのは午後5時ちょっと前でした。「港北区史」を参考に道を確定しました。細い線の部分は現在消失している部分です。クリックすると拡大画像を表示します。
posted by けいりう堂 at 23:45| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2006年08月30日

パパ好み。

先日同僚のデレッキさんが自分の部所の新人さんを紹介してくれたのだが、この女性は古川出身でありまして、名物パパ好みのことを当然ご存知だったわけです。
ところで、このパパ好みのHPがしばらく閲覧できなかったのだが、今日アクセスしてみると、おお、見れた。

http://www.papagonomi.com/

天地総子とデュークエイセスの歌うテーマソングが聴けて、ナイスでするんるん

それにしてもパパ好み、僕としては良くあるおつまみあられの類だと思ってたのだが、あげた人たちには結構好評だったりする。名物というだけのことはある。
posted by けいりう堂 at 21:03| Comment(2) | アルファ-ラルファ日記

2006年08月18日

7/8、矢倉沢往還歩き(伊勢原〜鶴巻温泉)

庭のグラジオラスもラベンダーも咲き誇る爽やかなる七月の朝、矢倉沢往還の旅を再開。大山参りも無事済ませ、足取りは軽い。
庭のラベンダー
伊勢原到着はお昼。駅の近くでそばをいただいてから矢倉沢往還と大山道の分岐点に向かうと、大隈天神社という小さな祠を見出しました。ここはもと天神山と呼ばれ、何でも明治末期にこの神様が近くの十二柱神社に合祀された後、菅原道真公の御霊が旗川家の潜り戸を鳴らすという珍事が続き、天神様は天神山に帰りたがっているのだろうと元の場所に再び祭られたのだそうです。まずはここを今日の初詣として、歩を西に転じ伊勢原大神宮に行きました。名の通りここは伊勢神宮の分社で、過去には照見山神宮寺もありましたが今は灯籠があるのみです。神社の方は本家伊勢神宮と同様外宮・内宮とあり、やはり外宮・内宮の順に詣でる慣わしとなっています。大きなクスノキがここのシンボルです。
伊勢原大神宮
クスノキといえばここから東の方にも大福寺の大楠という銘木があるということで、街道を南にエクスカージョンしましたが、近在の人々が勝手に境内に入るのを嫌って門は閉ざされておりました。さらに千手山大宝寺なども訪れて、再び街道に戻る途中、消防団のシャッター絵を採取。
シャッター絵・伊勢原
ここからはしばらく246を西に向います。途中古代の条里制の跡があるとのことで市ノ坪へ。公園になっていてテニスコートや綺麗なトイレなどありましたが、史跡を示すものといえば「史跡市ノ坪」とある小さな標示杭だけ。説明版などありませんでした。
時刻はそろそろ16:00。街道を少し南に外れて、住宅街を徘徊しました。(伝)善波太郎墓と呼ばれる遺跡を探していたのです。悪意はありません。だから住民の皆さん、どうか石を投げないでください。。。入り組んだ道をあちこちさまよった挙句、現代住宅の間にポツリと五輪塔の集まる土地が取り残されているのを見つけました。
善波太郎
善波太郎重氏は平安末期の武将で、こんな伝説が残っています。
善波太郎重氏は、若いとき家の召使千子女と通じ勘当され放浪のうち千子女も、また息子探しに出た両親も死に、善波館は悪臣にのっとられた。そこに戻った重氏は悪臣たちに謀られ静岡の蒲原に売られたのち諸国を点々とするが、信濃の諏訪明神で霊験を得て館を取り戻したと。ちなみにこの石塔群と善波氏を直接関係付ける証拠は無いものの、時代的には矛盾は無いようです。
さて、午後の4時を過ぎてしまいました。実は今日、三ノ宮比々多社の郷土資料館を訪れるつもりでいたのですが、たどり着いてみれば予想通り郷土資料館は4時で閉館。悲しく戻りましたが、まあ次回に楽しみ伸びたということで。。。
その後保国寺、長福寺、養国院など東名道付近のお寺を詣で、鶴巻温泉に向かいました。
長福寺・石仏
いのこ最中を売る店の向かいに古代の箕輪駅跡がありました。
箕輪駅跡
かくして18:30、鶴巻温泉到着。弘法の里湯で一日の汗を流し、ロビーにあった七夕の短冊に戯言など書き付けて秦野の夜は更けてゆくのでした。
ねたが古いしわかりにくい。
posted by けいりう堂 at 08:21| Comment(2) | アルファ-ラルファ日記

2006年08月17日

6/24大山参り。

この日、先回たどり着けなかった大山山頂を目指す。伊勢原からバスでケーブル駅、そしてそこからケーブルカーで下社まで行く。こないだはここまで徒歩できたから、これで良いのです。下社はすでに海抜678m。下から見上げるとそう大きな山に見えない大山も、大山というだけあって山頂は<1247mなのでして。しかも結構急。平坦な道なら日に30km歩いてもびくともしないわたしの足は、ちょっとでも傾斜があると途端にヘタレになってしまいますから。ここから距離で28丁、1丁は109.09mですから3054mということに。ということは平均勾配10°くらいになるのですか?ううう。しょうがない。ちびちび歩いていこう。下社に鹿の親子がいた。
下社の鹿
で、以前はここまで来たという山頂への入口。ここで勝手にお払いして登っていくわけです。わたしはあちこちで神社に参詣してますから、覚えた祝詞でも唱えていきますか。「はらったま きよったま かむっなが まもったま さきわったま〜」ちょっと「うる星やつら」のサクラさん入ってますけど。
山頂入口
1丁登っては休憩、という感じでへろへろと登っていくと、それでも上には上がっていくもんでして、まあまだ7丁目ですけど、夫婦の杉。
夫婦杉
更にあがっていくと、子供らのキャーキャー言う声が聞こえます。ボーイスカウトの人々のようですね。ボーイスカウトの人々で行儀良くしてる集団って見たこと無いのですよ。やかましいなと思ってるので「こんにちは」とか挨拶されても思い切りしかとしちゃうんだもんね。いや、実は息が切れてて挨拶の声が出ないの。16丁目。蓑毛道との追分に出ました。晴れてれば西に富士山が見えるはずですが、何にも見えません。
追分より見えぬ富士を望む
12:49、30回くらい休憩した後に山頂に到着。ガスが出てて眺望すこぶる悪し。だからお昼ごはんの画像でも。こんなもんでも山の上なら美味しいんだよねーひらめき
お昼。
さあさああとは降りるだけだ。見晴台のほうから二重滝に向かって降りていきます。以前登ったときはこっちから登ってきたのだけど、距離はこちらのほうが長いようです。下りは大得意だ!膝のガクガクを飼いならしつつ、ガンガン降りていきます。あっという間に二重滝到着。
二重滝
茶店で一服すればもう大山には用は無いのでさっさと降りてしまいましたが、そのあと行くべきところがあったのですね。それは伊勢原の図書館。ここで大山街道関係の図書を少し調べてコピーすると、五時過ぎました。これで心置きなく先を目指すことができます。次回は伊勢原-秦野の旅です。またまた鶴巻温泉で一風呂かな。ふふふ、山道もないし楽しそう。。。
posted by けいりう堂 at 00:51| Comment(2) | アルファ-ラルファ日記

2006年03月21日

奥州街道・白石〜大河原

まだ東北に春は無いだろうと極寒を覚悟しつつも3/18-19、宮城白石に奥州街道ウォーキングへと出かけました。一日目は白石蔵王駅から東側、孝子堂や弁天沼などを巡った後に旧街道の少し北の史跡を巡りました。大変暖かい日でした。この日は白石駅そばのホテルに一泊。
切通しから蔵王を望む

翌19日は曇りがちで強い風の中にちらちらと雪が混じっていましたが、素手でもかじかむと言うほどには寒くは無く、もう冬ではないのだと感じます。
お寺を訪ねると墓参の方々に出会い、春の彼岸であることに思い至りました。白石川に平行して歩くと、白鳥飛来地がありました。
白石川白鳥飛来地
大河原に着き、駅に行けば強風の影響で電車が遅れているとのこと。体感としてはそれほど厳しいようにも思いませんでしたが、福島で新幹線に乗り換えるときには吹雪いていました。
posted by けいりう堂 at 01:03| Comment(5) | アルファ-ラルファ日記

2006年03月12日

矢倉沢往還-二子・溝口から鷺沼へ

足3/11晴れ。一月振りの街道ウォーキングに出かけました。このあいだ大山街道フェスタで訪れた高津の辺りから鷺沼。その先で日が暮れて道を見失いましたが、横浜市に入りました。
高津の「大山街道ふるさと館」で、「大山街道・R246地域間ネットワーク交流会/ウォークマップ作成実行委員会」による、「大山街道ウォークマップ」其の一から其の四を閲覧させていただくことができ、大山までの道の確定がやっとできました。
そこから、3月トップページの二ヶ領用水の円筒分水を見たりしながら進みました。まだ桜には早いけれど歩いている最中は上着の要らない良い陽気。やはり発汗が多いほうが体にはいいみたいですね。
来週もウォークの予定ですが、ちょっと寒いところに行ってみようと思います。
posted by けいりう堂 at 23:48| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2006年02月21日

大山街道フェスタ

日曜に神保町に行った帰り、田園都市線に乗り継ぎ二子新地へ行く。大山街道沿いのこの地で、街道フェスティバルを行なっていた。湯豆腐もらった。高津図書館前の広場や大山街道ふるさと館なども街道沿いの見所。
posted by けいりう堂 at 08:10| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2006年02月18日

こっそりと仕掛け

ある人のHPをおとづれて、ちょっと自分のページにつまらない仕掛けをしたくなって、した。
でもほとんどの人は気づくまい。
posted by けいりう堂 at 20:30| Comment(2) | アルファ-ラルファ日記

2006年01月22日

HTMLでルビを振る。

(うまや)
posted by けいりう堂 at 02:47| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月29日

とりあえず仕事納め。

遣り残したことは山ほどあるけど、一応仕事納め。
今日からしばらくの間はまた仕事のことを一切考えないでいろいろやろうかと思ふ。旅の間はともかく、なるべく家で自炊するようにしたいとか、せっかくの休みだからだらだらと『三国志』のゲームを一日やり続けるとか、まあいろいろ。
机の上&&引っ張り出した引き出しの上の積読群を征伐するという使命もある。
posted by けいりう堂 at 23:46| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月21日

散紅葉。

 宇宙一キュートなク・メル、それよりも尚可愛い”もみじ”という猫がいた。持て余し気味の長い毛に覆われた体はこの上なく華奢で、嫌なことは嫌だと大声で主張する猫だった。伸び上がれば意外に長い(これはどの猫であってもそうだろうが)体躯、デリケートなお腹、目の周りの僅かな白い毛。姉になる猫の領域を侵すことは決してしない、つつましいヤセの大食い。
 アイヌ神謡によると、動物の神は死んだ後しばらくの間は、現世の姿だった骸の「耳と耳の間」に居るということだ。その部分の毛の柔らかさは生前と変わりが無かった。迫り寄るオス達をはっきり拒絶するあの抗議の声は、これからもしばしば、飼い主だった男の眠りを妨げることだろう、しばらくは。

そまりあの あおきもみぢ葉 散りにけり 名残の枝の細き恨めし
posted by けいりう堂 at 22:30| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月19日

おなかに来る風邪を引いた模様。

というわけで柴胡桂枝湯を飲んだ。さらに改源と般若湯で駄目押したらーっ(汗)
posted by けいりう堂 at 22:03| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月18日

東海道五十何次だ?

足先に「江戸から大坂まで五十七次か五十八次か?」と書いたが、さらに、「五十六次」という疑惑が。
「民間省要」という、川崎宿本陣の名主・問屋の田中休愚なる人の書に「道中は諸所に至るといえど、先づ東海道五十六次を第一とす」とあるらしく、馬継をしなかった守口宿を勘定に入れないとこうなるらしい。
大津と京の間に追分がある。この追分を南に分かれると伏見の宿に至る。これが五十七次の道である。一方、京から竹田を経て伏見に至る道は伏見街道と呼ばれ、これもまた京街道の一部とされているようだ。
ともあれ概ね道順を辿ることはできそう。さ、スケジュールを組むか。手(グー)
posted by けいりう堂 at 09:15| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月17日

永田町-神保町-関内

年末の歩き旅を京街道と決めたのでその準備のために国会図書館へ行き、歴史の道調査報告書をコピーしてきた。午後から出かけたのに加えて人が多い。結局午後4時過ぎまでかかる。
そこから神保町に出かけて、探訪予定地の1/25000地図を買う。ついでに奥州街道一ノ関までの分も買ったら、6000円越えた。うひゃ!しかし、グランデにも三省堂にも全国分の地図が結構そろっていることがわかって嬉しい限り。
そして横浜・関内に向う。予約済みのDVD「ガン×ソード」第3巻を購入して、「モハン」で夕食。「モハン」のインドビールはマハラジャからゴールデンイーグルに変わっていた。旨くて久々に2本飲む。家族連れが騒いでいたのは勘弁してくれって感じ。子供がうるさい。子供のすることだから、などという寛容さはわたしには無い。猫
posted by けいりう堂 at 22:37| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月15日

『身延のみちの記』と瑞光寺。

足本元政上人の『身延のみちの記』を含む『新日本古典文学大系67 近世歌文集 上』(岩波書店)が楽天から届く。『身延のみちの記』は身延道を歩く前に道程を調べた本の一つ。最初をぱらりと読んでいるうち、そういえば元政上人は京・深草に住んでいたのだったと思い出す。深草とはどの辺だ?おお、伏見区。墓所である瑞光寺には、京街道を訪ねる際に寄る事ができそうだ。なんと喜ばしいことか。竹三本のお墓に参ることができるのだ。いつかはと思っていたが、結構早く実現できそうで、楽しみひとしお。
posted by けいりう堂 at 21:34| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月13日

あこがれの「みんぱく」

足毎年年末年始をどこかの街道の上で過ごすようになってもう4年目になる。
今年は京都から大坂への京街道、東海道残り4宿を歩いて、最終的には大阪の国立歴史民族博物館(みんぱく)を訪問したいと思っているのだが、みんぱくは12/28-1/4まで休館なんである。仮に1月第一週を休暇とできるとして、1/6くらいには京街道を踏破しようとするといつから出かけたら良いんだろうか。昨年は60kmほどの距離になる姫街道本坂通りを3泊4日で歩いて若干お釣りが来た。しかし昨今の奥州街道歩きや矢倉沢往還歩きの進捗度合いを鑑みると、4日くらいで京から大坂にたどり着くのはちょっと無理なんじゃないかとも思えてくる。とりあえず事前調査をしっかりする必要はある。この道程の1/25000地図も専門店に行かねば手に入らないというのもちょっとイタイ。準備期間が余り無い。どうにも忙しいな。
posted by けいりう堂 at 22:54| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記