あけましておめでとうございます。今年は積読の消化に勤めて、一日も早く机の上でノートが取れるスペースを確保したいと思います。
湯之上隆『三つの東海道』静岡新聞社、2000。本日読了。
購入したのは昨年10月。積読が一冊片付いたことになる。
古代・中世・近世の東海道の変遷を語る本書にはいろいろと考えさせられるところが多かった。「海道一の遊君」の件は、「曾我物語」でも(真名本ではなく)仮名本にあると書かれていた。東洋文庫版は真名本なので、ちょっと購入を早まってしまったかもしれない。
2006年01月18日
『三つの東海道』(読了)
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2005年12月28日
金田一京助『ユーカラ』(岩波文庫、1936)に苦戦中

文章の感じからはもっと若書きかと思っていた。アイヌ語の研究は25さいころからの仕事らしいので、その頃の文章がそのまま収録されている可能性も無くは無いが。
解題に書かれている事柄は非常に問題意識が強く喚起される、が、そのことは又の機会に書きたい気がする。
なにしろ読むに苦戦する。文語体にアイヌ語の固有名詞をカタカナ表記しているのが、独特の読みにくさを形作っているように思える。電車の中がちょっとうるさいともう読めない、という感じで。しかしかといって、知里幸恵さんの『アイヌ神謡集』は、読みやすいし詩心あふれる「とこしえの宝玉」だが、これはこれでまた電車の中よりも、暖かい部屋で珈琲を供として控えめの音量でディーリアスかショーソンでも流しながら読みたい気がする。電車で読むなら真志保さんの『アイヌ民譚集』がいいかな、なんて思う。
しかしもうそろそろ読了する。一度読んでから現代語でダイジェストを書いたほうがいいような気もしているが。
引っかかるところが山ほどあるが、特に気になるのは、六という数字の持つ意味だ。


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2005年12月25日
都立中央図書館で『今昔東海道ひとり歩き』を閲覧。
今井金吾さんの著作で有名なのは「独案内」シリーズで、東海道・中山道・三街道(甲州・奥州・日光)の三冊が出ているが、京-大坂の記述はこれらの中には無い。同著者の『今昔東海道ひとり歩き』(日本交通公社、1983)にこの部分が書かれているため、これを閲覧のため都立中央図書館に行った。貸し出ししていないので予約の必要も無い。古書店でもちょっと見つからない本で、いかにも観光向けの本の体裁であることがその原因ではと思う。
とまれ目的の情報を入手することができたので、正月の旅の道程を確定することができた。新幹線の席も取った。宿を決めなくては。
とまれ目的の情報を入手することができたので、正月の旅の道程を確定することができた。新幹線の席も取った。宿を決めなくては。
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2005年12月22日
紀野一義著『名僧列伝4−一遍・蓮如・元政・辨榮聖者−』講談社学術文庫1513、2001年。
この本は以前図書館で借りて読んだが、京-伏見の旅をするなら元政上人の竹三本の墓を訪ねようと思い、また読みたくなって購入した。著者の文章はちょっと癖があって、好きになれない部分もところどころある。
元政上人はもと彦根藩士であり、姉が藩主に嫁したことがその縁になったということを最近認識したのだが、この本で再度それを確認した。そして、世田谷の豪徳寺にその墓があり壮大なものである、と書いてあって、しまった、と思った。
招き猫で有名な世田谷・豪徳寺は井伊家の菩提寺であり、去る10/29にわたしも矢倉沢往還の途上、直弼さんのお墓を訪ねた。が、このことをその日認識していなかったので元政姉のお墓を見ていない。口惜しいことである。京都行く前にまた世田谷に行きたくなる。
元政上人はもと彦根藩士であり、姉が藩主に嫁したことがその縁になったということを最近認識したのだが、この本で再度それを確認した。そして、世田谷の豪徳寺にその墓があり壮大なものである、と書いてあって、しまった、と思った。
招き猫で有名な世田谷・豪徳寺は井伊家の菩提寺であり、去る10/29にわたしも矢倉沢往還の途上、直弼さんのお墓を訪ねた。が、このことをその日認識していなかったので元政姉のお墓を見ていない。口惜しいことである。京都行く前にまた世田谷に行きたくなる。
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2005年12月17日
深草元政上人『身延のみちの記』

歌語が多く使われていることに気がつき、同時代の他の人の文章と比べてみたいという気になった。元政上人がもと彦根藩士だったことも思い出す。上人の姉は彦根藩三代井伊直孝の側室で四代直澄の母ということである。
初めて読んだときに比べてさらに味わい深く、母思いの人柄に打たれる想いが強い。
深草を訪ねることがますます楽しみになる。
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2005年12月14日
上方史蹟散策の会編『京街道』向陽書房刊、2001年。

この本の冒頭に、大坂まで入れて五十七次、とかかれており、江戸幕府は大名が京を通らないように大津から伏見へと迂回する経路を整えたと言うことが書かれていた。児玉幸多先生の『日本交通史』には”五十八の宿次”という記述と、”五十七次”という記述の両方が見られる。このことはちょっと問題とすべきことかも知れない。五十七と五十八とどちらが正統であるか、ということよりも、呼称としてはどちらが人口に介したかということを気にするべきなのだろう。するとおそらくは五十七が優勢になるのだと思われるが、一方で、京を迂回するという意図がどれほど現実に即していたのかということが気になる。どちらにしても、年末までに大津を起点とするか京を基点とするか、決断をせねばならないのだった。これがわたしとしては最も大きな問題意識。
まてよ、問題を保留したままでいっそ両方歩くという選択もあるな。ああ、それもイイな。いや、それが一番いい。それに決まった。
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2005年12月13日
赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編『路上観察学入門』ちくま文庫、1993。
思うところあって『超芸術トマソン』を読み返してみたくなったので書店に。書棚に『路上観察学入門』が並んでいたのでこれも購入して、一気に読む。林丈二という路上観察の神を、今更にして知る。そして思う。
オレってまだまだだったんだなあ。
オレってまだまだだったんだなあ。

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2005年12月12日
『真名本曾我物語1・2』(東洋文庫468/486、1987/1988)
虎御前に触れるべく生まれて初めて東洋文庫を買った。かなり以前にアラビアのロレンスに魅かれて『知恵の七柱』をどこかの図書館から借りて読もうとしたことがあったのを思い出す。文庫と言う割には高いなあ、という感じがつねにある。
ぱらぱらとめくる限りでは鎌倉の三遊女というような記述は見当たらない。さて、三遊女とは一体誰が言い始めたことなのであろうか?
中世の話と言う以外には全く関係ないのだが、今夜NHK大河「義経」終了。無難な最終回と言う感じで、最後まで「うつぼ」の存在は余計と映る。
ぱらぱらとめくる限りでは鎌倉の三遊女というような記述は見当たらない。さて、三遊女とは一体誰が言い始めたことなのであろうか?
中世の話と言う以外には全く関係ないのだが、今夜NHK大河「義経」終了。無難な最終回と言う感じで、最後まで「うつぼ」の存在は余計と映る。
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2005年12月07日
2005年12月01日
『御伽草子(上)(下)』市古貞次校注、岩波文庫 黄126-1、126-2、1985、1986。
古典をお手軽に読むに当たって岩波文庫が良いと思うのは、本文以上に解説が有用なところ。挿絵が載る場合の多いのも良い。絵の中にもいろいろな情報がある。こういう読み方は幾分、中野美代子先生に影響されたかもしれない。現代語訳が無くて多少仮名使いや字体が古くても我慢するに値する。
上巻収録の「唐糸さうし」に、頼朝に集められた12人の美人と言うのが出てくる。昨日問題としていた(まあわたしが勝手に問題にしてたのだが)有名な遊女ランキング、というのがここに出ている。「まづ一番には、手越の長者が娘、千手の前、二番には、遠江国、熊野(ゆや)が娘の侍従、三番には、黄瀬川の亀鶴、四番は、相模国山下の長者が娘、虎御前、五番は、武蔵国入間川の牡丹といひし白拍子…」とあった。鎌倉の三遊女というのはまたちょっと違っているらしいが、これを調べるには何を引けば良いのやら。
「御伽草子」はこのあとこれら遊女達が歌舞を競う下りになるようだが、あとでじっくり読むことにしよう。今月は積読の種がかなり増えてしまった。
上巻収録の「唐糸さうし」に、頼朝に集められた12人の美人と言うのが出てくる。昨日問題としていた(まあわたしが勝手に問題にしてたのだが)有名な遊女ランキング、というのがここに出ている。「まづ一番には、手越の長者が娘、千手の前、二番には、遠江国、熊野(ゆや)が娘の侍従、三番には、黄瀬川の亀鶴、四番は、相模国山下の長者が娘、虎御前、五番は、武蔵国入間川の牡丹といひし白拍子…」とあった。鎌倉の三遊女というのはまたちょっと違っているらしいが、これを調べるには何を引けば良いのやら。
「御伽草子」はこのあとこれら遊女達が歌舞を競う下りになるようだが、あとでじっくり読むことにしよう。今月は積読の種がかなり増えてしまった。
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『中世の非人と遊女』(網野善彦、講談社学術文庫1694,2005年)
この本を手に取ったきっかけは、中世の三大遊女と呼ばれたのは誰と誰と誰だったろうか、という疑問を解こうとしたためだが、最初の方60ページほど読んだ感じでは、そんな暢気な記事は出ていないように見える。
史学は危険な学問になり得るし、またそれを志す人には重大な責任があるのだと思い知らされる。
日本では歴史学は科学でなく文学の一分野とされてきたという伝統があるが、文献をあたる場合においても科学同様に、先入観を捨てることとその分野で常識とされる事柄を了解しておくことという両立しにくいことを両立させる必要はあるようだ。それだけを愚直に貫いて、ことさら独自の視点や新しい切り口を意識することなくことにあたる、というのも、徹底して行なえばユニークな立場となるのだろう。
もっと漢文をスイスイ読めるようになれば、律令格式を自在に漁ることができる。それでどうなるかと言えば「相模川は昔鮎川と呼ばれておりまして…」とかいった薀蓄が増えるばかりなんだが。
ちなみに件の三大遊女は御伽草子に書かれているらしい。天竜河畔の池田の熊野(ゆや)御前はその一人だと思っていたが、果たしてどうか。こういうこと調べるのが楽しくてしょうがないんだよね。
史学は危険な学問になり得るし、またそれを志す人には重大な責任があるのだと思い知らされる。
日本では歴史学は科学でなく文学の一分野とされてきたという伝統があるが、文献をあたる場合においても科学同様に、先入観を捨てることとその分野で常識とされる事柄を了解しておくことという両立しにくいことを両立させる必要はあるようだ。それだけを愚直に貫いて、ことさら独自の視点や新しい切り口を意識することなくことにあたる、というのも、徹底して行なえばユニークな立場となるのだろう。
もっと漢文をスイスイ読めるようになれば、律令格式を自在に漁ることができる。それでどうなるかと言えば「相模川は昔鮎川と呼ばれておりまして…」とかいった薀蓄が増えるばかりなんだが。
ちなみに件の三大遊女は御伽草子に書かれているらしい。天竜河畔の池田の熊野(ゆや)御前はその一人だと思っていたが、果たしてどうか。こういうこと調べるのが楽しくてしょうがないんだよね。
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2005年11月28日
黒板勝美 編輯『新訂増補国史大系(普及版)続日本紀』前・後篇 吉川弘文館、1935、1968(普及版)。
記紀にはじまる国史をあれこれ参照する日がくるなんて、学生時代には全く考えても見なかった。こういう嗜好が強くなってきたことの大元には、諸星大二郎の影響があるのではないかと思う。尊敬する学者に「稗田礼二郎」を追加するべきかも知れない。続日本紀は日本書紀に続く時代の国史。
posted by けいりう堂 at 21:10| Comment(0)
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2005年11月27日
『日本交通史辞典』
とうとう病膏肓に入り、『日本交通史辞典』吉川弘文館刊、2003 を購入。ここには街道のほとんど全てがある。だから25000円という値段も決して高くは無いのです、決して。ウウウ…(忍び泣き)。
欲しいと思う本は山ほどある。『国史大系』とか『街道の日本史』全巻とか。
改めて見るとこれら全部、吉川弘文館じゃないか。ここの本、目録見てると次々欲しくなるんだよねえ。「ユーザーが買い支えなくては」なんて思ってしまうのはオタクの言い訳でございます。
欲しいと思う本は山ほどある。『国史大系』とか『街道の日本史』全巻とか。
改めて見るとこれら全部、吉川弘文館じゃないか。ここの本、目録見てると次々欲しくなるんだよねえ。「ユーザーが買い支えなくては」なんて思ってしまうのはオタクの言い訳でございます。
posted by けいりう堂 at 07:37| Comment(0)
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2005年11月26日
『武蔵野』(国木田独歩著、新潮文庫)

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