古川のホテルを出でて、駅前からバスで吉岡を目指そう…と思ったら、途中の音無というところまでしか行かないんですね、このバスは。まあとにかく行けるところまで行こう、ということで音無、8:49です。

とぼとぼと吉岡目指して歩く私。しかし30分ほど歩いて大衡という辺りにつくと、万葉バスというのがやってきて私を優しく吉岡へと導いてくれたのでした。

昨日つけ麺を食べたお店はまだ閉まっています。ここの前で缶コーヒーを飲み、煙草を吸って、これからの旅を想像するのでした。何しろここから北に向かって田んぼの真ん中を通ってお寺さんに行くと、その先は途絶しているらしいのです。しかし行けば行けるのかもしれない。双眼鏡で行く手を眺めてみても要領を得ないので、ともかくお寺を目指そうと、煙草をもみ消してちゃんとポケット灰皿に吸殻をしまい込んでいざスタート。
10:00過ぎ、昌源寺。昔の奥州街道はこの右脇を通っていたそうで、昌源寺坂と呼ばれていたそうですが、丁度境内を掃除していた住職さんに尋ねると、やはり道は失われているとのことでした。ここの先のもう一つの山道もやはり今は通れないということで、かなり東に遠回りすることになりそうです。悲しいことですが、街道の生涯にもいろいろな形があるのはやむを得ないことでしょう。

東に迂回しますと、「要害」という地名がありました。ここまで来るとあちこちに「要害」と呼ばれる地名があります。頼朝の奥州攻めを迎え撃った場所ということなのでしょうか。それとも大和時代まで遡るのか?宿題ができました。さて10:50。昌源寺住職には通れないと聞かされた道までやってきました。地図を見ると点線の道が描かれています。これは幅員1.5m未満の道ということで、山道なんかがこれで書かれてることが多いわけです。まあいけるトコまで行ってみるかというわけで、道端の看板をあえて無視して先に行って見ることにしました。まあ行けなくなったら引き返せば良い訳で。

藪の中を30分ばかり進みました。GPSが使えているので方角を間違えないというのは非常に安心ですね。くもの巣に絡まれつつやがて、整地中の広い場所に出ました。そしてその先には大勢のお年寄りが。

旧街道は宅地とパークゴルフ場によって分断されていたというわけでした。丁度お昼なので、パークゴルフ場の食堂で肉蕎麦をいただいて、先を進みます。しばらく歩くと、旧街道に合流することができました。この地点には矛盾する二つの看板が共存しています。

一体どうすればいいのでしょう。まあ私は藪をこいで歩いた後なので、ここを辿ってみる気にはなれませんでした。
12:30、雲善寺。12:40、須岐神社。ここで休憩。明治帝小休止所跡など通って、東北自動車道のガード下をくぐって自動車道沿いに北に行きます。昌源寺住職の話では、くぐる手前の道沿いを行くのが昔の道だったそうですが。
13:43、伊賀一里塚。片方しかなかったけれど、一里塚が残っているというのは、現代人の私が言うのもなんですが、懐かしい、という感じがします。

行く手はちょっとした坂道。頂上付近に、「明治天皇鑾輿(らんよ)航渡聖跡」なる碑がありました。明治帝は在位の間日本各地を巡幸なさったことで有名ですが、帝が仙台に着いた頃この地は大雨で多田川があふれ道は水浸しなので巡幸を延ばすことになろうとしたとき、それでは民に迷惑が掛かる、自分は濡れるのはいとわない、と帝がおおせられたので、この地では小舟を輿として消防組員16人が白衣をまとってこれを担ぎ、帝を渡らせたもうた、ということです。

さて、三本木に着きました。14:11。大豆坂の地蔵様にお参りしてから、道の駅やまなみで休息。三本木はひまわりが特産で、ひまわりの種の入った香ばしいソフトクリームをいただきました。もう古川は目の前。でもその前に舘の山公園に寄ります。ここは桑折城跡。もちろん何にもありませんが、古川の街が一望できます。うーん、まだ結構距離があるなあ。しかしもう登りも下りも無い、街中歩きです。おっと気になるポスターが。。。ぎゃはは。

黄色が太めというのはお約束ですけど、このお腹はヤバイ。「ヤバイ」といってもすごくイイという意味の若者言葉の「ヤバイ」ではありません。調べてみるとこの方々は全国で環境のために戦う公演を行なってるようですね。はじめて見た。グリーンもピンクもいるみたいです。黄色の名前は「食欲 満」はいはいお約束お約束。
16:41、瑞川寺。そして歌枕・緒絶の橋に着きました。16:49。

「しらたまのをだえのはし」などと言われるそうで、芭蕉もここを訪ねたかったようですが、松島の方に進路をとったためにここには寄られなかったとのことです。
ところで橋の向こうに見えている建物は、外装は新しいけれど古くからの建物なのだそうです。ここでは家庭料理の「はっと」を食べることができます。ちょっとお雑煮のようでもありますが、小麦粉を強く練り、数センチの平たい形にして煮たものです。甲府の「ほうとう」は白い粉をねって作るので「はくたく」と呼ばれていたものが変化したと聴いたことがありますが、この「はっと」というのもその類のようですね。腹の底から元気が出てくるような食べ物です。
この場所には他にも酒蔵を改造したいろいろなお店が入っています。まだできて間もなく、これからが期待されるところでしょうね。
満ち足りた気持ちになりましたが、あと一箇所だけ訪ねるべきところがあります。それは古川城址。古川小学校のあるところに、土塁だけが残っています。
駅に着くと18:00を回っておりました。今日の歩数45289歩。古川は明日から古川祭りということで、名残惜しくはありますが今回の旅はこの辺で。
でもまたお盆に来るんだもんね。
posted by けいりう堂 at 23:49|
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アルファ-ラルファ行脚