2006年08月20日

7/30・奥州道中仙台2日目。

日曜の朝はもちろん仮面ライダーカブトを見てからの出発となります。柳町通りを西に向かい、広瀬川を越えて向山のまずは愛宕神社。愛宕神社というのはどこでも小高い山の上にあり参道は険しいというのがこれまでの経験ですが、ここもまたそうでした。朝一番の大汗をかいて登りました。ここから見る仙台市街の夜景もまたよいそうですが、まあ登るのは大変な思いなわけで。
愛宕神社参道。
愛宕神社の裏手には虚空菩薩のお堂があります。虚空菩薩といえば寅年のわたしの守り本尊。ぜひお参りせねば。
虚空菩薩堂
しかし当然ながら下りもキツイわけで。
虚空菩薩堂・参道
ここから霊屋下に向かいます。伊達家墓所・瑞鳳殿に参拝するわけです。ここもまた小高い丘の上です。ふもとの茶屋でアイス珈琲を飲んで休憩してから行きます。
瑞鳳殿
瑞鳳殿は、東照宮もかくやという絢爛な造りです。そばに資料館があり、発掘調査を行なった当時のビデオを放映していました。正宗公は面長で現代人に近い骨格の人相であったということです。その後感仙殿・善応殿を詣で、仙台城址へと向かいました。
仙台市博物館
折りしもここではポンペイ展などやっていまして、常設展の他にこのような企画展など見るとなると時間がかかってしまうわけですが、ポンペイ展を見るということもめったに無いのでまあここはとっくりと見学することにしましょうか。ところでもうお昼。近くに食事どころは他に無く、博物館の食堂で昼食をとりました。人が沢山いて、4人待ち。博物館をじっくり見ているともう15時です。これは大変!なぜ大変かというと、今日はこのあと仙台文学館を訪ねるつもりなのですが、こういう博物館の類は16時くらいになると入館の締め切りをしてしまうわけです。あわてて仙台城跡に向い、あわただしく回ります。一応正宗公の銅像をパチリ。ああ、仙台に来たなあ、という実感が。
青葉城・正宗公銅像
具合の良いことに、城跡にはタクシーがいました。これを捕まえて一路北へ。仙台文学館は台原の森林公園の北の端にありました。建物の床にはガラス張りの大きな窓があり、下を流れる小川が見えます。
文学館から小川を見下ろす。
文学館の展示の中で、高山樗牛が瞑想にふけっていた松の木があるということを知ったので、そこに歩いていくことにしました。森林公園の中をひんやりした遊歩道を通って。宮城薬科大学のそばにそれはありました。結構迷ってご近所の方に尋ねたりしましたが。
高山樗牛瞑想の松
18時まわりました。瞑想の松のそばの東照宮を詣でました。ここには「奥の細道」という標識があり、芭蕉翁もここを訪ねたようです。東照宮駅から電車に乗って、仙台に戻りました。夜、弟の婚礼で遠い親戚となった亀子さんという男性と飲みました。翌日は古川を目指します。
posted by けいりう堂 at 23:04| Comment(0) | アルファ-ラルファ行脚・続

2006年05月03日

奥州街道紀行・名取散策その2(5/1)

足風薫る五月となりましたが、今日は曇り空です。仙台駅に荷物を置いて白石行きの電車に乗り、名取駅に向いました。今日は街道の東側の史跡を訪ね歩くわけです。さあがんばるか。と、思った矢先、大変なことが発覚しました。何とデジカメが動かないのですね。これは困った。いろいろ考えた末に、仕方無く仙台に戻り、東口の電気店で安手のデジカメを購入することに決めました。これまでに使っていたコンパクトフラッシュを使うタイプは既にして時代遅れのようです。ということは媒体も買わねばならない。さらに、電池のタイプもいろいろあって、今すぐ使おうとすると充電の手間が馬鹿にできません。結局選んだのはSDカードと単三電池二本を使うニコンCoolpix L3。まあ値段も2万円台だしやむを得ないかと。今まで使っていたCoolpix883は手の大きさにピッタリなずんぐりしたものだったのに比べてL3は薄手で、握ってる感じがどうも軽すぎる。しかし機能的には十分です。これに決めました。SDカード512メガも購入して3万の出費。なかなかの痛手ではありますね。しかし残り二日の記録にはどうしても欠かせません。付近に電気店の無い田舎の旅でなくて良かったのだと思い直して、ロッテリアで珈琲飲みながら操作法をひと通り確かめるともうお昼。お蕎麦で簡単に済ませてまた名取駅に戻りました。
初めに訪ねたのは駅の東1kmほどのところにある耕龍寺。伊達家11代当主持宗公夫妻の墓所でここの山門はもと白石城の城門です。境内には紅白の花桃三本が咲き誇っていました。
耕龍寺の花桃
次に訪ねたのは、この地に熊野信仰を広めた名取老女の墓でした。昨日三社を全て訪ねていますから見ず知らずの古人とはいえ何となく親近感を感じます。周囲には田圃が広がっています。昨日散策した西側は奥羽山脈につながる山がちな地形でしたが、こちら側は海に到るまで平地が広がっています。
名取の田圃
ついで洞口家住宅を見学しました。昨日訪れた旧中沢家住宅で、シルバー人材の方が、洞口家のほうは教育委員会ではなく洞口さん個人が管理していると説明してくれましたが、このときも屋根のための萱を束ねていたようでした。
さらに東へと進むと、名取川の堤防の辺りに松並木が見えてきました。これが「あんどん松」で、伊達藩によってわざわざ遠州から取り寄せられてここに植えられたものだそうです。名取川河口には閖上(ゆりあげ)漁港があり、ここに入る船はこの松を目印に入港したためこの名で呼ばれるようになったと言うことです。ちょうど、市の職員と思しき方々が土手のゴミを拾いに来ていました。
あんどん松
ここからは堤防沿いに歩き、貞山運河の方に向いました。堤防の上を川を眺めながら歩くのは楽しいですね。淀川や阿武隈川に添って歩いて以来、その楽しさに気づきました。しばらくすると、彼方此方に小舟が停泊しています。川には砂州が目立つようになり、海鳥の姿も見えます。そういえば潮の香りもし始めました。太平洋に近づいてきたと言うことでしょう。運河を辿る前に、ちょっと閖上漁港の方に行って見ることにしました。
名取川河口
嗚呼、波の音がします。かなり大きな音です。以前静岡-糸魚川構造線を北上して日本海にたどり着いたときのことを思い出しましたが、日本海はもっと静かでした。太平洋の荒波とは良く言ったものです。改めて日本海が内海であると言うことに想いが到ります。日本付近の地図を上下逆にして眺めると、どういうわけかこのことがとてもよくわかります。一度暇なときにやってみてください。それにしても、海までほんの僅かだったのですね。街道に沿って歩いていただけでは実感がありません。昨日那智熊野社から眺めた、まさにあの場所に今日は居る自分が不思議でもあります。
この先は、海岸線に平行して1km弱内陸に走る貞山運河沿いに歩きます。このときは全く知りませんでしたが、1600年頃から1889年まで掛かって開かれたそうで、旧北上川河口から阿武隈川河口まで全長46kmにもわたるそうです。貞山とは仙台藩祖政宗公の法号なのだそうです。北の端は松島湾です。貞山運河沿いにずっと歩くと言うのも良いテーマ・ウォーキングになるのではないでしょうか。
貞山運河
まあそういうウォーキングはいずれそのうちやるとして(やるのか?)ですね、今日は名取の中を散策しつくしてしまいましょう。仙台空港の近くにある雷神塚古墳、毘沙門堂古墳、経ノ塚古墳と訪ね、ここに東屋とトイレがあったので一服しました。時刻は午後5時をまわっていますが、まだあと一箇所だけ訪ねたい場所が残っています。それは東光寺の宝篋印塔で、江戸中期の石造建造物です。お寺の中にあるということは、夕刻には門を閉ざされて見ることができない可能性がありますので焦ります。が、昨日も5万歩以上歩いて今日もかれこれ3万歩。さすがにもうゆるゆると行くしかありませんでしたが、たどり着いてみればそこは閉ざされる心配の無い場所でした。高さ2.3mとなかなかでかいものです。斗蔵観音、と表札のようなものがありましたが、何のことでしょう?
東光寺宝篋印塔
かくして、見るべきほどのものは全て見た。へとへとになりましたが、今日はまだやることがあるのです。それはバスに揺られて秋保温泉に行くこと。寝ながら行けばそこには極楽の湯と極楽の飯、極楽の酒が待っていたのでした。
岩沼屋特製秋保詩篇秋の章。春だけど秋。
posted by けいりう堂 at 22:54| Comment(0) | アルファ-ラルファ行脚・続