2006年05月03日

奥州街道紀行・名取散策その2(5/1)

足風薫る五月となりましたが、今日は曇り空です。仙台駅に荷物を置いて白石行きの電車に乗り、名取駅に向いました。今日は街道の東側の史跡を訪ね歩くわけです。さあがんばるか。と、思った矢先、大変なことが発覚しました。何とデジカメが動かないのですね。これは困った。いろいろ考えた末に、仕方無く仙台に戻り、東口の電気店で安手のデジカメを購入することに決めました。これまでに使っていたコンパクトフラッシュを使うタイプは既にして時代遅れのようです。ということは媒体も買わねばならない。さらに、電池のタイプもいろいろあって、今すぐ使おうとすると充電の手間が馬鹿にできません。結局選んだのはSDカードと単三電池二本を使うニコンCoolpix L3。まあ値段も2万円台だしやむを得ないかと。今まで使っていたCoolpix883は手の大きさにピッタリなずんぐりしたものだったのに比べてL3は薄手で、握ってる感じがどうも軽すぎる。しかし機能的には十分です。これに決めました。SDカード512メガも購入して3万の出費。なかなかの痛手ではありますね。しかし残り二日の記録にはどうしても欠かせません。付近に電気店の無い田舎の旅でなくて良かったのだと思い直して、ロッテリアで珈琲飲みながら操作法をひと通り確かめるともうお昼。お蕎麦で簡単に済ませてまた名取駅に戻りました。
初めに訪ねたのは駅の東1kmほどのところにある耕龍寺。伊達家11代当主持宗公夫妻の墓所でここの山門はもと白石城の城門です。境内には紅白の花桃三本が咲き誇っていました。
耕龍寺の花桃
次に訪ねたのは、この地に熊野信仰を広めた名取老女の墓でした。昨日三社を全て訪ねていますから見ず知らずの古人とはいえ何となく親近感を感じます。周囲には田圃が広がっています。昨日散策した西側は奥羽山脈につながる山がちな地形でしたが、こちら側は海に到るまで平地が広がっています。
名取の田圃
ついで洞口家住宅を見学しました。昨日訪れた旧中沢家住宅で、シルバー人材の方が、洞口家のほうは教育委員会ではなく洞口さん個人が管理していると説明してくれましたが、このときも屋根のための萱を束ねていたようでした。
さらに東へと進むと、名取川の堤防の辺りに松並木が見えてきました。これが「あんどん松」で、伊達藩によってわざわざ遠州から取り寄せられてここに植えられたものだそうです。名取川河口には閖上(ゆりあげ)漁港があり、ここに入る船はこの松を目印に入港したためこの名で呼ばれるようになったと言うことです。ちょうど、市の職員と思しき方々が土手のゴミを拾いに来ていました。
あんどん松
ここからは堤防沿いに歩き、貞山運河の方に向いました。堤防の上を川を眺めながら歩くのは楽しいですね。淀川や阿武隈川に添って歩いて以来、その楽しさに気づきました。しばらくすると、彼方此方に小舟が停泊しています。川には砂州が目立つようになり、海鳥の姿も見えます。そういえば潮の香りもし始めました。太平洋に近づいてきたと言うことでしょう。運河を辿る前に、ちょっと閖上漁港の方に行って見ることにしました。
名取川河口
嗚呼、波の音がします。かなり大きな音です。以前静岡-糸魚川構造線を北上して日本海にたどり着いたときのことを思い出しましたが、日本海はもっと静かでした。太平洋の荒波とは良く言ったものです。改めて日本海が内海であると言うことに想いが到ります。日本付近の地図を上下逆にして眺めると、どういうわけかこのことがとてもよくわかります。一度暇なときにやってみてください。それにしても、海までほんの僅かだったのですね。街道に沿って歩いていただけでは実感がありません。昨日那智熊野社から眺めた、まさにあの場所に今日は居る自分が不思議でもあります。
この先は、海岸線に平行して1km弱内陸に走る貞山運河沿いに歩きます。このときは全く知りませんでしたが、1600年頃から1889年まで掛かって開かれたそうで、旧北上川河口から阿武隈川河口まで全長46kmにもわたるそうです。貞山とは仙台藩祖政宗公の法号なのだそうです。北の端は松島湾です。貞山運河沿いにずっと歩くと言うのも良いテーマ・ウォーキングになるのではないでしょうか。
貞山運河
まあそういうウォーキングはいずれそのうちやるとして(やるのか?)ですね、今日は名取の中を散策しつくしてしまいましょう。仙台空港の近くにある雷神塚古墳、毘沙門堂古墳、経ノ塚古墳と訪ね、ここに東屋とトイレがあったので一服しました。時刻は午後5時をまわっていますが、まだあと一箇所だけ訪ねたい場所が残っています。それは東光寺の宝篋印塔で、江戸中期の石造建造物です。お寺の中にあるということは、夕刻には門を閉ざされて見ることができない可能性がありますので焦ります。が、昨日も5万歩以上歩いて今日もかれこれ3万歩。さすがにもうゆるゆると行くしかありませんでしたが、たどり着いてみればそこは閉ざされる心配の無い場所でした。高さ2.3mとなかなかでかいものです。斗蔵観音、と表札のようなものがありましたが、何のことでしょう?
東光寺宝篋印塔
かくして、見るべきほどのものは全て見た。へとへとになりましたが、今日はまだやることがあるのです。それはバスに揺られて秋保温泉に行くこと。寝ながら行けばそこには極楽の湯と極楽の飯、極楽の酒が待っていたのでした。
岩沼屋特製秋保詩篇秋の章。春だけど秋。
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奥州街道紀行・名取散策その1

足4/30(日)。始発の電車で宮城県名取に向いました。先回ここで名取の史跡の資料を入手したので、今日はこれを参照しながら奥州街道の西側を散策します。まずは南に歩を進め、十三塚遺跡へ。ここは公園になっており、野球場で試合をやっていました。楽隊が来ていないようで、部員達がパーパーパー♪と"さくらさくら"の曲でトランペットを真似て応援していました。公園内にも桜が。
十三塚の桜
十三塚は縄文から古墳時代までの複合遺跡でした。その少し北の墓地の中には十三仏の石塔があるのですが、特に説明板なども無く、上から1/3くらいのところでぽっきり折れたまま放置されていると言った感じでした。残念には思いますが、余所者には知れない事情もあるのかも知れません。
この近くに旧中沢家の建築があります。由緒は良くわからないそうですが、18世紀後半のもので「名取型」と呼ばれるこの地方特有の様式だそうです。建屋の世話はシルバー人材センターの方が行なっており、付近の史跡のことを少々語り合いました。この日はお話ボランティアの方もここを借りて方言をたっぷり使って子供に昔話を聞かせていました。流暢な方言の語りは建屋の古さにぴったりと合うはずのものなのでしょうが、皮肉屋の旅人は何故か違和感を感じてしまったようです。
旧中沢家住宅
ここよりがんセンターの周囲を回って、笠島廃寺跡、芭蕉ゆかり(とは言え道が悪くて芭蕉自身は訪ねなかったようですが)の道祖神神社、そして藤原実方朝臣の墓を訪ねました。先回街道沿いに「笠島はいずこ」の芭蕉句碑を見ましたが、実際に訪れることができたわけです。実方墓は薄暗い林の中で塚の上に一本の竹を差した簡素なもので、時代は全く違いますが、正月に深草で訪ねた元政上人の墓を思い出しました。実方さんは道祖神社の前を馬に乗ったまま過ぎようとして神罰に遭いなくなったということです。
藤原実方朝臣墓
北上し、悲恋の物語の伝わる幾代・小佐治の墓を訪ね、五方の辻に着くと13時をまわっています。付近に飯屋なども無く、酒屋でカップラーメンと魚肉ソーセージなど買ってお湯をもらいました。酒屋の裏手にベンチを借りて食すればこれもまたなかなかのランチ。こういうものも外で食うと何故か大層美味い。食後にホット缶コーヒーなんか飲んだりして。まあわざわざ新幹線でやってきてこんな風な食事をしてるわけですから贅沢なランチと言わば言えましょう。食後、西に歩を転じ、高舘山を目指しましたが、五方の辻で取るべき道を間違えて樽木ダムに出てしまいました。15:30頃那智熊野社に着きました。境内から遥か東を眺めると太平洋が見えました。見えてしまうと「行ってみたい」という気持ちが沸いてくるものですが、さてさて。
名取市遠望
熊野社の鐘を一つ撞いて広場を巡り、高舘城址の脇を通って下り、さらに北を目指します。名取川に出合う辺りに、二つの熊野神社があり、これで名取熊野三社をすべてめぐることができました。日も暮れて、雨が激しく降り始めました。例の如く青いレインポンチョに身を包み、南仙台駅に向う途中滑って転んだりしましたが、幸い怪我も傷も無く、JRで無事仙台に到着すると19:00をまわっていました。歩数も50000歩を越えました。
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2006年04月25日

矢倉沢往還・海老名〜厚木(4/22)

足近頃は花曇どころか嵐の春と言う風情ですが、4/22(土)は好天に恵まれました。この日も遅めの出発。前回の到着地点、神奈川県の海老名にやってまいりました。海老名と言えば国分寺。国分寺と国分尼寺跡を訪れるべく、先日訪れた逆川の史跡の碑まで一度戻り、目久尻川沿いに北に向って歩きました。すると河童がいました。この川に昔現れたという伝承があるようです。橋の欄干の2匹の河童は地元の方の贈り物でしょう、帽子とちゃんちゃんこを身に着けて澄ましています。
河童の欄干
西に歩を転じて国分尼寺跡に着きました。ご近所のお嬢さん方がくつろいでいました。聖武帝の頃立てられた金堂跡には今は庚申堂がありました。
国分尼寺のかしまし娘
お昼にお蕎麦をいただいてから、国分寺跡を訪れました。ここは公園として再利用されていますが、要石などが発掘調査の後復元されています。史跡を公園として再利用するのは私には良い思いつきのように思えます。単に囲われた土地としてではなく、子供時代に遊んだ親しい公園の記憶として史跡が未来に続く命を約束されたかのように見えるのです。
国分寺・金堂のあった辺り
その後少し南下して、ひさご塚古墳を訪れました。駅より南の地域には古墳や中世の舘跡などが点在しています。ひさご塚の近くには銘菓「ひょうたん山最中」を売る菓子屋があり、話の種に3種を一個ずつ求めましたが、帰る頃にはリュックの中で無残に潰れて瓢箪やらへちまやらわからぬ有様と成り果てました。
再び矢倉沢往還に戻ります。国分寺跡の東に隣接して、郷土資料館「温故館」があります。近代の役場の建物がそのまま利用されており、これも未来に続く命を与えられた史跡の例と言えるでしょう。学芸員の方が国分寺のことを丁寧に説明してくださいました。矢倉沢往還をずっと歩いていると言うと、以前溝口のふるさと館でコピーさせていただいた大山街道・R246ネットワーク交流会発行のパンフレット全4部を分けてくださいました。平成製と思われますが増刷されていないので今や貴重な交通資料です。ついでに海老名の庚申塔や地蔵などの資料を都合3000円ばかり求めました。郷土資料館を訪れることは多少時間がかかるとしても思わぬ史料にめぐり合うこともあるので、欠かせません。
温故館
この時点でもう16時をまわってしまいましたが、少しでもと西へ向いました。海老名氏の墓所を探すうちにだいぶ暮れて来ました。今日も暖かい日でした。季節はもうこんな花の咲く頃です。
菖蒲ですか?あやめですか?かきつばたですか?
今日のうちにせめて相模川を渡ろうと思いましたが、堤防をうろついているうちに随分暗くなったので、厚木から帰ることにしました。相模川・中津川・小鮎川の三川合流地点の西側に見えるのは、あれが大山、矢倉沢往還のハイライトです。
あれに登るのかと思うとちょっと引きますけど
というわけで駅一つ分しか進みませんでしたけど今日もたっぷり歩きました。次回は多分GWの終わり頃、大山の様子をご報告できることでしょう。
posted by けいりう堂 at 23:38| Comment(0) | アルファ-ラルファ行脚

2006年04月17日

矢倉沢往還・長津田〜海老名

暖かくなったので、いつも草ぼうぼうでお隣さんに迷惑かけている庭を掘り起こして笹をむしりとって、山椒を植えました(左)。そばには前からほったらかしにしているキャッツミントがけなげに生えています(右)。キャッツミントは別名キャッツニップと言い、猫が好むのだそうです。別名「猫のかみかみ」。萌える名前ですね。ずっと庭に生えていて、しかもずっと猫を飼ってるというのに、最近まで知りませんでした。
庭の山椒とキャッツミント
さて、4/15(土)は矢倉沢往還・長津田から西へ。なかなかの好天です。実は遅く起きたため、出かけたのは10時をまわった頃でした。我が家から長津田までは30分ほど。駅の周りを少しうろついたらもうお昼。そばをいただいてあとは日が暮れるまで歩き続けるのです。しばらく歩くと、ついこの間後にしたばかりと思った東京にまた入りました。町田市です。ここに銀河歩道橋と言うのがありました。最近見た『雅楽戦隊ホワイトストーンズ』で見た厚別川を思い出し独りニヤニヤする訳ですが、道行く人の誰もその訳を知らないことでしょう。このときのわたしは矢倉沢往還の上で最も怪しい人物だったことと思います。このそばの公園には明治20年に作られた近代水道の切れ端が展示されています。
手前彦星、向こう織姫
先へ進んだ時、鶴間の一里塚を見逃したことに気づいて戻って見に行きました。わたしの調べた矢倉沢往還からは500mばかり北に外れています。往還はここを通っていたこともあったと言うのでしょうか?
鶴間の一里塚.JPG
15:00頃、境川を渡って大和市に入りました。観音寺には猫が一杯。
日向の境内は絶好のくつろぎ場。
大和には旧小倉家を復元した「下鶴間ふるさと館」があり、往還の往時を偲ぶことができました。
17:00を回った頃、座間市の東原桜並木に着きました。しかしすでに桜の時期は終わっています。きっと大山桜もすでに散っていることでしょう。かくして18:00を過ぎた頃、海老名市に入りました。今日の旅はここまで。昼近くからのスタートの割には結構な距離を進むことができました。あと2回のうちには、大山の頂上に着いていることでしょう。
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2006年04月10日

奥州街道紀行(4/2)

4/2、日曜。ホテルで『交響詩篇エウレカセブン』最終回と『仮面ライダーカブト』を見てから宮城・槻木(つきのき)に向いました。この日は朝から曇り。天気予報は当たりのようです。想い出深いものとなった白石川もついに阿武隈川に合流し、しばらくは阿武隈川に沿って歩きます。
阿武隈川堤防。河原には畑。
お昼少し前に岩沼市に入り、千貫神社のある辺りへとエクスカージョンしたころに結構な雨が降ってきました。そこで4号線沿いの日本食レストランに避難して食事。若竹の子が春を想わせる結構豪勢なランチとなりました。午後は日本三大稲荷の一つと言われる竹駒神社へ。その北西には、芭蕉のおとづれた歌枕、二木の松がありました。「桜より松は二木を三月越し はせお」
二木の松にて
雨はほぼ上がり、検断(伝馬など宿駅関連の仕事を取り締まる役目)屋敷跡などを眺めて先を行き、午後三時頃に名取の館腰神社の手前でまた芭蕉の句碑を見出しました。「笠島はいずこ皐月のぬかり道 はせを」
神社の東5kmには仙台空港があり、北側には隣接して雷神山古墳があります。東北では最大規模の前方後円墳です。木立で薄暗い崖沿いの道を登れば、古墳登場。
雷神山古墳。前方部から後円部を臨む。
夕方、名取の駅に着く頃にはまた雨になりましたが、レインポンチョがあれば何の問題にもなりません。駅にはインターネットや読書しながら電車を待つことのできる待合所があり、ここで名取の文化財に関するパンフレットを見つけ、コピーしました。次回はここから。意外に文化財が点在しています。仙台まであと12kmほどですが、一日でたどり着けるかどうか。
以下、ゴールデンウィークに続く。多分。
posted by けいりう堂 at 22:58| Comment(0) | アルファ-ラルファ行脚

奥州街道紀行(4/1)

足新しい期になって早速奥州に出かけてしまったエイプリルフールの日。大河原の一目千本桜が咲くにはわずかに早かったようですが、とてつもなく良い天気でした。午前中のうちに韮神山の芭蕉句碑など訪れ、お昼はヒレカツ。午後にはまたしても桜の名所である船岡城址を訪れました。遠くから山頂に見えた平和観音までヒイヒイ言いながら登り、記念ショット。城址のそばには郷土館などもあって歴史の勉強ができます。ここらには軍事工場があったのですね。
alpha_funaoka.jpg
山登りでなかなかくたびれたので、あとの旅はゆるゆるとヘタレ攻め。東北リコーのあたりを歩いていると、上空を飛行機が飛んでいったようです。
alpha_plane.jpg
槻木というところに着いて、JRでなぜか福島まで行きます。定宿の風情となった駅から徒歩10分足らずのホテルに宿泊。夜はホテル1Fの飲み屋で管を巻く。お店の人々ともすっかり知り合いになってしまいました。旅は明日も続く。アップがいつになるかは不明。
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2006年03月31日

3/25:矢倉沢往還・宮前平〜長津田

足もうすぐ新学期と言う早春の晴の日(3/25)に矢倉沢往還(大山道)宮前平〜長津田を歩きました。始めに宮前平駅前の八幡社にお参りしました。と書いてみたものの、この言い方なんかおかしいことに気づきました。この地はたぶんこの八幡社の前にあるから宮前平と呼ばれるはずで、だからさっきの言葉は『お宮の前の駅の前のお宮』って言ったのと同じことで、自己撞着的な説明になってしまいましたことを深くお詫びいたします。なんて歩き始めから冗長になってしまいました。先回はこの辺りから鷺沼にかけては日が暮れてから歩いたために、笠付き馬頭観音など幾つかの石造物を見逃してしまいましたが、今回はそれらを見つけて歩きました。荏田に着くと丁度お昼時。「ぐらすうっど」というお店でスパミート大盛りが思いの他美味。
再び歩き出せばちらほらと桜も咲いています。ウォーキングに出てきてよかったと思うひと時。
060325_1.jpg

鶴見川を渡り、柿の木台で古い榎を見ました。この辺りは昔一里塚であったらしいです。そのすぐ先のスナックで青い酒瓶の木が生えていました。
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医薬神社のそばの公園の入口には、なんだかわからないキャラクターが描かれています。一見ユーモラスですが、眺めているうちに日野日出志の漫画のキャラみたいに見えてきて怖くなりました。
060325_3.jpg

夕暮れ、長津田に着きました。街道の東側にある王子社などを詣でて、駅そばの居酒屋で神奈川の地酒「隆」というのを飲みました。次の機会には長津田の地酒「ながつた」を飲んでみたいです。この日の歩き25000歩ほど。
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2006年03月21日

奥州街道・白石〜大河原

まだ東北に春は無いだろうと極寒を覚悟しつつも3/18-19、宮城白石に奥州街道ウォーキングへと出かけました。一日目は白石蔵王駅から東側、孝子堂や弁天沼などを巡った後に旧街道の少し北の史跡を巡りました。大変暖かい日でした。この日は白石駅そばのホテルに一泊。
切通しから蔵王を望む

翌19日は曇りがちで強い風の中にちらちらと雪が混じっていましたが、素手でもかじかむと言うほどには寒くは無く、もう冬ではないのだと感じます。
お寺を訪ねると墓参の方々に出会い、春の彼岸であることに思い至りました。白石川に平行して歩くと、白鳥飛来地がありました。
白石川白鳥飛来地
大河原に着き、駅に行けば強風の影響で電車が遅れているとのこと。体感としてはそれほど厳しいようにも思いませんでしたが、福島で新幹線に乗り換えるときには吹雪いていました。
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2006年03月12日

矢倉沢往還-二子・溝口から鷺沼へ

足3/11晴れ。一月振りの街道ウォーキングに出かけました。このあいだ大山街道フェスタで訪れた高津の辺りから鷺沼。その先で日が暮れて道を見失いましたが、横浜市に入りました。
高津の「大山街道ふるさと館」で、「大山街道・R246地域間ネットワーク交流会/ウォークマップ作成実行委員会」による、「大山街道ウォークマップ」其の一から其の四を閲覧させていただくことができ、大山までの道の確定がやっとできました。
そこから、3月トップページの二ヶ領用水の円筒分水を見たりしながら進みました。まだ桜には早いけれど歩いている最中は上着の要らない良い陽気。やはり発汗が多いほうが体にはいいみたいですね。
来週もウォークの予定ですが、ちょっと寒いところに行ってみようと思います。
posted by けいりう堂 at 23:48| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2006年02月21日

大山街道フェスタ

日曜に神保町に行った帰り、田園都市線に乗り継ぎ二子新地へ行く。大山街道沿いのこの地で、街道フェスティバルを行なっていた。湯豆腐もらった。高津図書館前の広場や大山街道ふるさと館なども街道沿いの見所。
posted by けいりう堂 at 08:10| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記