2005年12月18日

東海道五十何次だ?

足先に「江戸から大坂まで五十七次か五十八次か?」と書いたが、さらに、「五十六次」という疑惑が。
「民間省要」という、川崎宿本陣の名主・問屋の田中休愚なる人の書に「道中は諸所に至るといえど、先づ東海道五十六次を第一とす」とあるらしく、馬継をしなかった守口宿を勘定に入れないとこうなるらしい。
大津と京の間に追分がある。この追分を南に分かれると伏見の宿に至る。これが五十七次の道である。一方、京から竹田を経て伏見に至る道は伏見街道と呼ばれ、これもまた京街道の一部とされているようだ。
ともあれ概ね道順を辿ることはできそう。さ、スケジュールを組むか。手(グー)
posted by けいりう堂 at 09:15| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月17日

永田町-神保町-関内

年末の歩き旅を京街道と決めたのでその準備のために国会図書館へ行き、歴史の道調査報告書をコピーしてきた。午後から出かけたのに加えて人が多い。結局午後4時過ぎまでかかる。
そこから神保町に出かけて、探訪予定地の1/25000地図を買う。ついでに奥州街道一ノ関までの分も買ったら、6000円越えた。うひゃ!しかし、グランデにも三省堂にも全国分の地図が結構そろっていることがわかって嬉しい限り。
そして横浜・関内に向う。予約済みのDVD「ガン×ソード」第3巻を購入して、「モハン」で夕食。「モハン」のインドビールはマハラジャからゴールデンイーグルに変わっていた。旨くて久々に2本飲む。家族連れが騒いでいたのは勘弁してくれって感じ。子供がうるさい。子供のすることだから、などという寛容さはわたしには無い。猫
posted by けいりう堂 at 22:37| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

深草元政上人『身延のみちの記』

本深草元政上人『身延のみちの記』を再読している。
歌語が多く使われていることに気がつき、同時代の他の人の文章と比べてみたいという気になった。元政上人がもと彦根藩士だったことも思い出す。上人の姉は彦根藩三代井伊直孝の側室で四代直澄の母ということである。
初めて読んだときに比べてさらに味わい深く、母思いの人柄に打たれる想いが強い。
深草を訪ねることがますます楽しみになる。
posted by けいりう堂 at 11:51| Comment(0) | アルファ-ラルファ図書館

2005年12月15日

『身延のみちの記』と瑞光寺。

足本元政上人の『身延のみちの記』を含む『新日本古典文学大系67 近世歌文集 上』(岩波書店)が楽天から届く。『身延のみちの記』は身延道を歩く前に道程を調べた本の一つ。最初をぱらりと読んでいるうち、そういえば元政上人は京・深草に住んでいたのだったと思い出す。深草とはどの辺だ?おお、伏見区。墓所である瑞光寺には、京街道を訪ねる際に寄る事ができそうだ。なんと喜ばしいことか。竹三本のお墓に参ることができるのだ。いつかはと思っていたが、結構早く実現できそうで、楽しみひとしお。
posted by けいりう堂 at 21:34| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月14日

上方史蹟散策の会編『京街道』向陽書房刊、2001年。

本年末の行脚の下調べのために図書館でこの本を借りる。この本は街道関係のHPとしておそらく最も有名な”浮浪雲”さんのところで参考書としてあげられていた。さすがに浮浪雲さん、京街道をすでに歩いていらっしゃる。
この本の冒頭に、大坂まで入れて五十七次、とかかれており、江戸幕府は大名が京を通らないように大津から伏見へと迂回する経路を整えたと言うことが書かれていた。児玉幸多先生の『日本交通史』には”五十八の宿次”という記述と、”五十七次”という記述の両方が見られる。このことはちょっと問題とすべきことかも知れない。五十七と五十八とどちらが正統であるか、ということよりも、呼称としてはどちらが人口に介したかということを気にするべきなのだろう。するとおそらくは五十七が優勢になるのだと思われるが、一方で、京を迂回するという意図がどれほど現実に即していたのかということが気になる。どちらにしても、年末までに大津を起点とするか京を基点とするか、決断をせねばならないのだった。これがわたしとしては最も大きな問題意識。
まてよ、問題を保留したままでいっそ両方歩くという選択もあるな。ああ、それもイイな。いや、それが一番いい。それに決まった。
posted by けいりう堂 at 23:26| Comment(0) | アルファ-ラルファ図書館

2005年12月13日

あこがれの「みんぱく」

足毎年年末年始をどこかの街道の上で過ごすようになってもう4年目になる。
今年は京都から大坂への京街道、東海道残り4宿を歩いて、最終的には大阪の国立歴史民族博物館(みんぱく)を訪問したいと思っているのだが、みんぱくは12/28-1/4まで休館なんである。仮に1月第一週を休暇とできるとして、1/6くらいには京街道を踏破しようとするといつから出かけたら良いんだろうか。昨年は60kmほどの距離になる姫街道本坂通りを3泊4日で歩いて若干お釣りが来た。しかし昨今の奥州街道歩きや矢倉沢往還歩きの進捗度合いを鑑みると、4日くらいで京から大坂にたどり着くのはちょっと無理なんじゃないかとも思えてくる。とりあえず事前調査をしっかりする必要はある。この道程の1/25000地図も専門店に行かねば手に入らないというのもちょっとイタイ。準備期間が余り無い。どうにも忙しいな。
posted by けいりう堂 at 22:54| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

赤瀬川原平・藤森照信・南伸坊編『路上観察学入門』ちくま文庫、1993。

思うところあって『超芸術トマソン』を読み返してみたくなったので書店に。書棚に『路上観察学入門』が並んでいたのでこれも購入して、一気に読む。林丈二という路上観察の神を、今更にして知る。そして思う。

オレってまだまだだったんだなあ。猫
posted by けいりう堂 at 02:07| Comment(0) | アルファ-ラルファ図書館

2005年12月12日

『真名本曾我物語1・2』(東洋文庫468/486、1987/1988)

虎御前に触れるべく生まれて初めて東洋文庫を買った。かなり以前にアラビアのロレンスに魅かれて『知恵の七柱』をどこかの図書館から借りて読もうとしたことがあったのを思い出す。文庫と言う割には高いなあ、という感じがつねにある。
ぱらぱらとめくる限りでは鎌倉の三遊女というような記述は見当たらない。さて、三遊女とは一体誰が言い始めたことなのであろうか?
中世の話と言う以外には全く関係ないのだが、今夜NHK大河「義経」終了。無難な最終回と言う感じで、最後まで「うつぼ」の存在は余計と映る。
posted by けいりう堂 at 00:56| Comment(0) | アルファ-ラルファ図書館

2005年12月10日

12/8-12/10白石散策。

白石というだけのことはあって石の名物が山ほどある。山の中を2時間捜し歩いた「鬼ずるす石」は陸奥の鬼が人を捕ってすり身にしたという言わば鬼の石臼。地名の語源とされる「神石しろいし」は仙台の根白石まで根の部分が連なっていると言う。わらじに挟まった石が今や2mに成長したと言う「おがる石」、片倉家代々の廟所の阿弥陀仏群、ひらがなで「むまくやう」と書かれた供養碑、いきいきプラザに展示される天然記念物「菊面石」(球状閃緑岩:ナポレオン石)。白石のみならず石神などという土地もあった。
今日は雪。白石が白かった。町のあちこちを掘割が流れる、ここはひそかに水郷の町だったのだと思った。その割には水神碑よりも山神碑の方が多いようだった。
次はもっと暖かくなってから行くのかな?
posted by けいりう堂 at 23:42| Comment(0) | アルファ-ラルファ日記

2005年12月07日

テスト

メール投稿のテスト。






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posted by けいりう堂 at 22:01| Comment(0) | アルファ-ラルファ図書館